1225年、親鸞聖人、53歳の時、唯一人で稲田の草庵(現茨城県)を出た親鸞聖人は高田(現栃木県)を訪れます。
次第に日は暮れるものの宿をとる民家もありませんでした。そこで一枚の平石の上に腰を掛け念仏をして夜明けを待つことにしました。
ところが東の空が明るくなる頃一人の童子が現われ、「私は、あなたの寺院建立の聖地を教えようと来たのです。この地は、お釈迦様が説法された聖地です」と親鸞聖人に柳の枝と菩提樹の種を授けました。
そこで親鸞聖人は高田に伽藍を建てようと決意し、その朝柳の枝を挿し、菩提樹の種をまきました。親鸞聖人の考えに真岡城主たちが協力し、ここに寺が建立されることになりました。これが専修寺の草創です。
当寺を中心とした門弟は「高田門徒」と呼ばれ、真宗最大の教団でした。しかし戦国時代、兵火による焼失などで衰退し、教団の中心は伊勢国一身田(現三重県)へ移っていきます。
江戸時代に入り、ようやく復興したのが現在の姿で、高田派ではここを「本寺(ほんじ)」と呼んで尊んでいます。
現在「本寺 専修寺」は総門、楼門、如来堂が東向きに一直線に並び、特に総門は唯一の創建当時の建物と伝えられています。
御影堂の大きな厨子には「木造親鸞上人坐像(鎌倉末期)」を安置。国からは「親鸞聖人の宗教史跡」として指定され、重要文化財に多く指定されています。
栃木県真岡市高田1482 TEL.0285(75)0103
専修寺の歴史
専修寺は親鸞聖人がつくったお寺です。歴史を見てみよう。
真宗高田派とは
親鸞聖人じきじきに御教えを受けた寺派です。