真宗高田派 専修寺 関東別院

関東の親鸞

⑤筑波山

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日本最大の平野である関東平野。その北に、ひときわ目立つ山があります。筑波山です。標高877メートル、関東平野の最高峰。古くは『万葉集』にも数多く詠われ、その優美な姿から「西の富士、東の筑波」として富士山と並び称されてきた名峰です。親鸞は、この筑波山に、稲田から鹿島神宮に行く途中にたびたび立ち寄りました。当時、山麓に建っていた大寺院・中禅寺が所蔵する多くの経典を読むためで、その日々の中で『教行信証』の執筆も進めていきました。

そしてもうひとつ筑波山を訪れた理由が、純粋に山登りを楽しむためでした。親鸞は、比叡山での修行以来、大の登山好きだったのです。執筆作業の気分転換だったのか。あるいは、家族から離れ孤独の中に身を置きたかったのか。それとも、体に負荷をかけながら登頂する喜びに魅了されたのか…。親鸞の生涯を振り返ると、越後では7年の流罪生活を生き抜き、関東では連日布教の旅に出ては大著『教行信証』を完成させるなど、心身ともに並外れてタフな人でした。90歳という当時として異例の長寿を全うしたのも、山登りの力によるものと言っても過言ではありません。

そんな親鸞と筑波山との深い関わり中で有名なのが「餓鬼済度(がきさいど)」の伝説です。親鸞が筑波山に登る前の晩のこと、ある夢を見ます。その夢の中に一人の子どもが現れ、「筑波山にある岩窟に来てほしい」と言うのです。翌日、その岩窟を訪れ、しばらくすると、大勢の餓鬼がぞろぞろと現れます。餓鬼とは、生前人間界にいた時に欲深く堕落していたために、飲食できない世界に堕ちてしまった者たち。彼らは、「苦しみから解放してくれ」と助けを求めます。哀れに思った親鸞は「これまでの行いを悔いながら、一心に念仏を称えなさい」と言い、二日二夜、餓鬼たちとともに念仏を称え続けました。すると、餓鬼たちはたちまち水が飲めるようになり、さらにもう一日念仏を称えると、成仏できたのでした。

この伝説は、「どんな悪人でも救われる」とする親鸞の教えの本質をよく表す話として有名で、いまも筑波山には「餓鬼済度の旧跡」が残されています。

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